プロフィール

こんにちは、3丁目の人です^^

プロフィールをご覧いただきありがとうございます!

それでは、さっそく簡単に自己紹介をしていきますね^^

どうして、”3丁目の人”なの?

いま現在わたしはタイのバンコクに住んでいます。

もう6年になります。

 

タイ以外にも過去、いろいろありまして、どう自分を説明したらいいかを考えました。

日本の住所には、~市、~丁目、~番地とか、~区などがあると思います。

 

つまり、自分の居場所を知らせる方法です。

そこで、わたしは、世界で見たら、自分の中では、「3丁目」かな?…と思いつきました。

 

まあ、3丁目が好きというか、自然に出てきたので、すぐに世界の3丁目に住む人・住人ということで、名前を”3丁目の人”と決めました(汗)

生い立ち

わたしは、昭和の人です。

わたしの時代の昭和そして、生まれ育った環境は、まだ家族や近所、親戚、親族、地域、町のつながり、結束が強かったです。

 

そんな時代に、片田舎のある町で生まれました。

小学生時代

あまり詳しい記憶がないくらい、ただ遊んで楽しい生活!…これがわたしの全てでした。

毎日、近所の学年に関係ない同年代の友達と遊んでいました。

 

集団登校で学校に行き、授業を受け、体育館で遊び、帰ると、近所の友達と草野球とかですね。

友達の家に遊びに行くのも楽しいひと時でした。

 

ぜんぜん、退屈しない6年間が過ぎていきました。

家族

わたしは、4人兄弟の4番目。

父がわたしが生まれる前後か、脳卒中で倒れました。

 

当時の医療そして、脳卒中に対する認識は、今とはぜんぜん違います。

会社員だった父は、熱血社員だったようで、倒れても仕事をしようとして再度倒れることになったらしいです。

 

結果、働けなくなり、わたしの記憶では、杖をついて歩く父の姿が最初です。

やがて、半身不随が重くなり、床に伏すようになり、しゃべることも難しくなっていきました。

 

家計は、母の内職による収入だけ。

介護も大変な母のおかげで、家族は楽しい生活が送れました。

 

でも、振り返ると、近所、地域、そして町がサポートしてくれていたことがわかりました。

とりわけ、親戚の力が大きいですね。

 

そんな生活もわたしが10歳のとき、変わりました。

真冬の1月、父は他界しました。

 

約10年間の一緒の生活でしたが、父の存在は大きかったんですね。

でも、みんなに励まされて、いつもの田舎坊主の一人に戻り、遊びまくりました。

中学時代

勉強らしい勉強をし始めたのは、中学からです。

幸い姉のサポートがあり、自然に学業に馴染めました。

 

部活も楽しんで、3年間を過ごしました。

勉強のやり方が身についていたのか、成績もよかったです。

高校時代

高校に上る前ぐらいから、自分の考え方が少しずつ変わっていきました。

思春期の生徒がそうであるように、いろいろ興味を持ち、悩んだりするわけです。

 

私の場合、勉強そのものに懐疑的な見方をしだしました。

中学での勉強とは違ったものを高校に、勝手に求めたんです。

 

自分で考え、模索し、見つけることが使命のように感じていましたね。

まず、中学時代の勉強を否定し、つまり止めました。

 

一応進学校だったんですけど、たしか410人中、405番だったと記憶しています。

つまり、後ろから数えたほうがはやい。

 

入学ではたぶんかなりいい成績で入れたようで、クラスの執行委員に選ばれていました。

中間テストの成績にびっくりした新任教師が飛んできて、声をかけてくれました。

 

でも、わたしはわたしなりの考えがあったし、ただうなずくばかりでした。

ちょっと、勉強をし始めて、つぎのテストで100番上がりました。

 

わたしにとって大切な時期がやってきました。

それは、高校2年です。

 

自分で自分の将来を固く決めた年です。

ある先生の授業に惹かれ、思想、深く考える分野に興味を持ち、本も読みました。

 

わたしが決めた自分の将来は、「一生、自然科学の勉強して、人生を捧げる!」みたいな強い思いでした。

昼間は実験し、夜理論を勉強・研究することを夢見たのです。

 

大学への進学を決意しました。

でも、経済的な問題で、進学への挑戦は難しく、一度だけ地元の大学を受験しましたが、壁は乗り越えられませんでした。

 

家族の意向もあって、公務員になることになり、1年間就職浪人が許されました。

1年後、かろうじて、東京で国家公務員として働くことになりました。

 

郵便局職員です。

国家公務員と夜間大学

田舎から一人で上京し、はじめての東京生活は不安でした。

でも、まずは1年間、仕事を覚える!がんばる!ことを自分に言い聞かせました。

 

すぐに、職場に慣れ、楽しい東京生活が始まりました。

当時はブラックなんて言葉もなく、わたしの職場だったら、”極楽”職場でしょうか^^

 

1年後、東京に慣れたわたしは、夜間大学を知り、偶然にも通える距離にあることがわかりました。

職場の協力があって、入学が許可され、勉強を再開できました。

 

大学での授業にハマり、特に実験の授業が大好きな学生となりました。

ぜんぜん、将来のことは考えなかったんですけど(すでに郵便局ですから)、研究室に入るとき事情が一変しました。

 

研究室の先生から、「あなた、仕事やめなさい!」の一言を受けました。

自分の中でもやもやしていた不安みたいなのが、一瞬で吹っ飛びました。

 

職場に事情を話して、翌年春円満辞職して、学業に1年間専念できる機会を得ました。

1年後、新しい仕事は、研究室の紹介で見つかりました。

会社員時代

仕事は電気関連の仕事。

自分の自然科学の勉強と会社の実務になかなか馴染めませんでした。

 

上司、同僚、環境はとてもよかったんですけど、体調も崩してだんだんやる気がなくなりました。

かなりひどくなると、自分でもヤバイ!状態で、転職を考えました。

 

幸い、文化に興味を持ちはじめ、友人二人でタイに始めて海外旅行をしました。

これが、決め手で、自分の決意は固く、別の道を探るきっかけになりました。

 

ほどなく、日本語教師を知り、挑戦することに!

まだバブルが弾ける前で、理系は引っ張りだことあって、満を持して会社を辞めました。

日本語教師時代

結局、これがわたしの最終の仕事になりました^^

最初、日本語教師養成講座に通い、半年後にインターンとして海外で教えることになりました。

 

海外の日本語教師は、どこも不足でわたしのような人間でも、学校の先生にすぐになれました。

ラッキーな時代です。

 

一応大学講師の肩書で、10年日本語を教えました。

だんだん、大学の採用条件が厳しくなり、わたしも学位の取得が必須になりました。

 

働きながらの取得に、通信教育を選びました。

幸い、3年かかりましたけど、教育学で修士号を取れ、ホッとしましたね。

 

話がトントン拍子に進み、別の大学の大学院の博士課程に編入が決まりました。

居住地を日本に戻すと、勉強がかなりしんどくなり、思い切って仕事を辞めて、学業に専念しました。

 

大学のときの経験がありましたら、仕事と勉強の両立の難しさがわかっていましたから。

ところが、大学院からのサポートが先細りになり、結局当てにしていた指導教官がはずれ、単位取得退学で終えました。

 

仕事が決まらず、自力で博士号の取得を取ろうと、論文審査願いを出すも、指導教官不在のため認められず、3年?の期限をもって自然消滅しました。

あろうことか、その年の冬に、安アパートの階下の住人とトラブルを起こし、精神病院運びとなりました。

 

警察での取り調べでは、喧嘩両成敗的なことで、お互いを訴えない?ことで、済んだと思ったら、どうして私だけ精神病院へ?

3ヶ月精神病院に隔離されると、実家に戻り、休養。

 

仕事を探すも、田舎にはもうありません!

わたしも40代をだいぶ過ぎていましたし。

再び海外へ

生活を自分でするために、再び日本語教師をすることにしました。

だいぶ、日本語教師から離れていましたが、授業が出来ましたね。

 

1年契約ごとの移動で、中国に5年間住みました。

もはや、学位のことは忘れ、研究もなく、自分の生活、文化を楽しむ生活でした。

 

そして、2014年昔を思い出したタイへ、ふらりと来たのです。

50代のわたしに仕事はなく、アフィリエイトを始めたというわけです。

 

タイでは、リタイアメントビザで長期滞在を続けています。

まったり生活です。

 

収入を得るためにアフィリエイトを含む副業?を継続中のフリーランス!

 

よろしくおねがいします。

 

そんな劇的な人生じゃないけど、まああまり普通でもないな!って、思っています。

 

いかがですか。

あなたの人生の参考にしてみてください!

 

プロフィール(略歴)

  • 日本の雪国の片田舎に生まれ育つ
  • 高校卒業後、1年の就職浪人を経て東京で公務員として働く
  • かねてからの希望であった物理学の勉強を夜間大学で始める
  • 得意は、統計、電磁波、金属などで、実験をこよなく好む
  • 卒業後、企業に就職し技術者となる
  • PC普及初期に、プログラム言語を覚え、Fortranでプログラムを書く
  • 初の海外旅行で文化・教育に関心が移り、語学教師への道に進む
  • 海外で日本語を教える
  • 教育の基礎を習得すべく、英国の大学院で通信教育で学ぶ
  • さらに、日本の九州の大学院で博士課程に編入し、単位取得退学する
  • 語学教師を継続しながら、海外の生活・文化にふれる生活を送る
  • タイに移動して、ブログを始める
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